リトアニア:「命の洗濯」。写真家の塩谷賢作インタビュー

塩谷賢作

賢作塩谷のブログ:http://www.studioaika.com

リトアニアって、どのようなところ?6年間もリトアニアで写真家の仕事をした塩谷賢作に、その印象や体験についてお話を伺いました。

最初はたぶん、みんな気になる質問なんですが、どうしてリトアニアを選びましたか?もう何回もこの質問がされたと思いますけどね。
東京で僕はずっとフリーランスとして写真の仕事をしていました。でもやっぱり、仕事はあまりなかったり、その仕事も面白くなくて・・・。もともと、どこか海外に行きたいと思っていたんですよ。その時にスカイプでカウナスの人とすごく仲良くなって、冗談半分で「リトアニアで僕の写真展ができないかな」と言ってみたんです。それがきっかけで、リトアニアの芸術写真家協会に連絡しました。その前はもちろん、なかなか行けるところじゃないので、リトアニアに行ったことはありませんでした。3ヶ月間はビザ要らないでしょ?せっかく3ヶ月いるのだから、写真をいっぱい撮って来ようと思いました。最初にカウナスに3ヶ月ずっといました。 その時は、日本と全然違うし、日本人も全然いないし。あと、お金もかからないし。それで、友達がいっぱいできたんですよ。 いろいろなことを考えたときに、自分のその写真家としての経験とか、新しいことするのにこういう全然違うところでそれをやることがいいかなと思って、すぐに準備して、ビザをとって、リトアニアで写真の活動を始めました。

つまり、最初は冗談半分として始まったのに、リトアニアに着いてからは、リトアニアに一目惚れだったと言えますよね?
まぁ、言えるでしょう。すごく面白かったです。 昔、僕はラトビアに行ったことがあるんですよ。そのおかげで、そんなにこわくもなかったし、イメージは大体できていました。でもやっぱり、僕はすごくカウナスが好きになって、友達もたくさんできたので、もう絶対住もうと思いました。それを心に決めて、リトアニアに引っ越しました。

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蚤の市、リトアニア


リトアニア人の中でカウナスとヴィリニュスの競争があるのですね。塩谷さんにとっては、どちらがよかったですか?
僕にとってはカウナスのほうがいいですよ。カウナスはやっぱり、ヴィリニュスより昔っぽいですからね。そんなに大きくもないし、歴史的だし。ヴィリニュスのほうは、いわゆるヨーロッパのまちだなぁという印象は強かったです。日本で、例えば、東京みたいなところなんですけど、僕は以前、東京に住んでいたことがありて、大きなまちにすごくあきていたのです。最初にカウナスにいたからこそ、僕はリトアニアに引っ越したとのだと思います。もし、最初がずっとヴィリニュスだったら、もしかしたらリトアニアには引っ越してなかったかもしれないと思いますね。もちろん、ヴィリニュスもいいところいっぱいありますよね。例えば、仕事をしたりとか、ヴィリニュスのほうがカウナスより、ビジネスという意味ではよかったですね。でも写真家としては、やっぱりカウナスのほうが好き
ですね。

先ほど、カウナスで友達がいっぱいできたと言ってましたよね。そのリトアニア人の友達の人柄について少し聞かせてください。なぜかというと、日本人とリトアニア人は精神的に似ているとよく言われていますから。
それはありますよね。最初、カウナスに行ったときに、いつもお酒を飲むところとか、カフェにいったりとして、やっぱり、日本人が珍しくて、「どこから来たの」という質問から友達になって、すごくみんな仲良くしてくれました。すごく歓迎してくれました。写真の仕事をすると聞いて、いろいろ手伝ってくれたりとか、私の友達の写真をとってほしいと言ったりとか、まぁ、そんな話がいっぱいありました。

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リトアニアの首都:ヴィリニュス

歴史のことを考えると、いい意味でも、悪い意味でも、日本とリトアニアはつながりがほとんどなかったですね。特に戦争した経験もないし、あまりにも離れています。戦争ということはないから、すごくみんな仲良くしてくれたというのはあると思うし。まぁ、これは日本にいてもそうなんですけど。リトアニアの人は日本にきたら、やっぱりみんなは「よく日本にきてくれましたね」と言うでしょう。やっぱり、中国人とか韓国人が来ると、時々問題になったりとかがあるので。 そういう意味ではすごくリトアニアの人は仲良くしてくれたし、特にその若い学生の人たちと知り合いになる機会がいっぱいあったので、みんな友達として協力してくれて、それはすごく嬉しかったです。

11301592_10153364684028336_306503395_n 写真家の活動はリトアニアと日本でどこ違いますか?
日本にいると、例えば写真の仕事というのはコマーシャル・フォトの世界ですよね。例えば、お客さんがいて、このような写真をとってくれというのは当たり前なんだけど、リトアニアだと、やっぱり、僕が、僕だけが撮った写真を評価してもらったこともありました。例えばカウナスの演劇とかをやってるプロデューサーがいて、一回写真をとって、また呼んでくれたりとか、そういうこともありました。もちろん、リトアニアにもそのコマーシャル・フォトをやってる人たちはがたくさんいるんですけど、ビジネスとしてじゃなくて、もっと自分が撮りたいものを撮っています。こういうものを作りたいという気持ちを持っている写真家がすごく多かったので、それは僕にとってはすごくよかったと思いますね。

リトアニアに行く前の塩谷さんとリトアニアに行ったあとの塩谷さんは別人みたいじゃないですか?
そうですね。やっぱり、前はすごく僕も、なんか、リトアニアに行くことは楽しくてしょうがなくて、それで大好きになって、引っ越しました。でも6年も住んでいると、やっぱりいいこともわるいこともいっぱいありました。もうちょっと早く離れたらよかったのかなぁ。ちょっと長くいすぎたのかなぁとも思います。でも今はもうちょっと違う目でリトアニアをみれるから、また写真を撮りに行きたいと思いますね。 たぶん、もしかたら、来年またリトアニアに行くかもしれないです。去年、実は7月に一回行ったんですよ。ちょっとだけ一週間ぐらいかな。だけどそのときは写真の仕事じゃなくて、全然違う、通訳の手伝いとかをしていたので、まぁ、ゆっくりはできなかったんですけど。やっぱり、リトアニアはいいところだなぁと思いました。 その違いはもうひとつあって、最初は僕がその旅行で三ヶ月リトアニアに行くという話をしたときに、友達がみんなびっくりしたんですよ。「なに?どこ?ロシア?インターネットあるの?携帯電話あるの?」という質問がたくさんありました。僕が一回リトアニアに行って、引っ越しすると決めたときは、みんなはまた「塩谷さんはなんかおかしいことはじめたいよね」と言って、不思議に思っていたのです。6年ぐらい住んでいて、ちゃんと仕事をして、リトアニアでやった写真を全部写真集に入れました。それを見てからはみんな、「塩谷君は写真家としても、一人の人間としても、ちゃんと生活をして仕事をしてこういう結果もちゃんと作ってきたんだね」ということで、みんなの目も変わったんだなぁとも思います。 11256497_10153364684018336_1720544423_n リトアニアで6年間も暮らしていて、リトアニアのことは「home」と言えますか?
ええ。そうですね、言えますよね。特にカウナスには、友達もいるし、「いつでもおいでよ」と言ってくれてるし。やっぱり、すごくよく知っているまちですから、とても気分がいいです。

2年前ぐらいは日本に戻ってきて生活をしていますよね。日本ではリトアニアの懐かしいことは何かありますか?
何も計画を立てずに行きたいところがあれば行って写真をとって、食べたいものだけを食べて、海で泳ぎたいとき泳げることは一番懐かしいと思います。またそういうゆっくりした生活をしたいですね。

これは最後になるともいますが、リトアニアに来る日本人の観光客とか、それともここに長くいる人たちには何かアドバイスをしてくれませんか?
リトアニアを楽しむ一番の方法はとにかく、時間がゆっくりしているので、ゆっくりすごすこと。特に例えば東京に住んでいると、時間の早さが10倍ぐらい速いと感じます。リトアニアにはゆっくり、例えば、2週間とか1ヶ月とか過ごすと、なんかこう要らないものがたくさん出てくるんですよ、自分の心の中に。そういうのがなくなったときにすごく穏やかに暮らせるというのがわかる国だと思います。写真もそうですね。絵を描いたり、音楽を演奏したり、そういう芸術的なことをやるのにとてもいい環境だと思います。そういう趣味とか仕事を持ってる人にとてもいいと思います。

最後の最後の質問になるんですが、リトアニアのことを一言で、塩谷さんによって。
日本語には「命の洗濯」という言葉があるんです。だから、リトアニアにいくと、自分の気持ちとか自分の命とか、そういうものをきれいにすることはできるでしょう。

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リトアニアの海岸

とても面白いインタビューをどうもありがとうございました!

Author: Nina Ždanovič

Asian Studies major, who likes to have her horizons as broad as possible, ranging from Japanese surrealist painters to eukaryotic cell structure. Believes that every single thing should be seen as a part of a bigger picture, and trust me, if you disagree, she would eventually convince you. At least four to five times. All in different languages.

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