日本人学生の見た、「命のビザ」75周年記念行事

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カウナス駅に新しくできた記念プレートの前で

 

75年後、同じ場所で

「命のビザ」で知られる、杉原千畝。彼の行為について語られる時、必ず語られる場面がある。それは、カウナス駅での場面だ。

ベルリン行きの列車が駅を発つ最後の最後の瞬間まで、千畝はホームでビザを書き続けた。「皆さんごめんなさい、私にはもう書けない…。どうかご無事で…」自分に助けを求めに来た全員にビザを出せなかったことを悔やみ、詫びる千畝。ユダヤ人たちは、動き出した列車を追いかけながら、千畝に叫ぶ。「スギハァラ。私たちはあなたを忘れません。もう一度あなたにお会いしますよ!」カウナス駅での涙の別れから28年後、千畝とユダヤ人たちは再会を果たす…。

杉原千畝は、ひと度ビザを発給することを決断すると、寝る間を惜しんで領事館でビザを書き続けた。ソ連からのリトアニア退去命令が出る中も、場所を移してホテル・メトロポリスで、そして最後カウナスの駅のホームまで…。2139枚のビザが発行され、6000人の命が助かったといわれている。

その杉原千畝がリトアニアを離れた日が、1940年9月4日であった。それから75年後、同じ場所で記念行事が開かれた。

 

様々な人が参加した記念行事

杉原千畝のゆかりの地、ホテル・メトロポリスとカウナス駅に新たな記念プレートが設置され、除幕式が開かれた。それに加え、杉原記念館でのドキュメンタリー鑑賞、オーストラリアからのマーセル・ウェイランドさん、イスラエルからのニナ・アドモニさんの2人のサバイバーの方の講演等が行われた。式典には日本側からは重枝豊英在リトアニア大使館特命全権大使、リトアニア側からはベケシュウス外務副大臣やヤロツキス文化副大臣、ランズベルギス元欧州議会議員等に加え100人近くの方々が参加をした。

この参加者の中に、はるばる日本から来た学生が多数参加していたことはあまり知られていない。現地のヴィタウタス・マグナス大学で勉強をする留学生。そして、「千畝ブリッジングプロジェクト」という団体に所属する、早稲田大学の学生たちだ。

 

留学先での、貴重な「出会い」

日本の学生の留学先としてはあまり馴染みのないリトアニア。杉原千畝は、日本とリトアニアをつなぐ大きなパイプと言っても過言ではない。リトアニアを留学先に選び、式典に参加した学生は何を思ったのか。

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笑顔のマーセル・ウェイランドさんを囲んで

 

ヴィタウタス・マグナス大学留学中男性

リトアニア・カウナスに留学し、このような式典に参加できたことを大変幸運に思います。今回の式典で自分は“杉原千畝がここにいた”ということを再認識しました。彼がカウナスを去って75年。それでもなお縁(ゆかり)のものが残され、彼の功績が称えられるのは彼が周囲の心を動かしたかを表しているのでしょう。

自身の体験談を語ってくださったお二方はまさしく時代の生き証人です。彼らのスピーチからは当時の悲惨さと恐怖、その中で見いだした希望と喜び、そして千畝に対する深い感謝の気持ちが伝わってきました。

千畝は6000人のものユダヤ人を救ったと言われていますが、それは彼ひとりの功績ではありません。オランダの外交官ヤン・ツバルテンディクをはじめ、様々な人の尽力があったからこその奇跡です。ただその奇跡の中心に杉原千畝の決断があったこと、彼がいなければこれほど多くの人の命を救えなかった事実は変わりません。千畝はまさに誇りであり、私の目標とする人物です。

 

ヴィタウタス・マグナス大学留学中女性

今回の75周年式典で印象的だったのは、「出会い」の秘めている可能性です。命のビザによって実際に助けられた方は、当時の状況の過酷さ、自由の大切さについて教えてくれました。現在彼らの周りにはどのような家族がいて、どんな幸せな人生を過ごしているのかを聞き、彼らにとっての杉原千畝との出会いの大切さを実感しました。ユダヤの方々と杉原千畝が実際に対面した時間はほんの数分間かもしれませんが、その出会いは彼らの人生・運命を大きく変えました。

まずは「杉原千畝」について多くの人に知ってもらい、杉原千畝以外にもいるユダヤ人たちを助けるのに尽力した人について知ってもらいたいです。彼ら杉原サバイバーとの出会いに感謝いたします。

 

「杉原千畝」を伝える、若者たち

「千畝ブリッジングプロジェクト」は、杉原千畝の功績を伝えるのを目的に活動している早稲田大学のサークルだ。彼らは、リトアニアを毎年訪れ、杉原千畝やホロコーストの歴史について勉強している。カウナスにある杉原記念館でのガイドボランティアが、大きな活動の1つだ。杉原千畝と普段から強い繋がりのある彼らは、今回の式典を、また杉原千畝をどのように考えるのか。

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杉原千畝記念館にて、参加学生集合の1枚

 

千畝ブリッジングプロジェクト所属早稲田大学3年男性

「千畝ブリッジングプロジェクト」の代表として、千畝を尊敬する一人の人間として、式典に参加できたのを光栄に思います。厳かな雰囲気で開かれた今回の式典で私の心を打ったのは千畝のビザで命を救われた方のお話です。オーストラリアから来られた男性、マーセル・ウェイランドさんは、現在では21人の孫に囲まれ幸せな暮らしをしているとユーモアを交えながら語ってくれました。イスラエルから来られたニナ・アドモニさんは千畝に対して「あなたがいなければ私はあなたたちに語りかけることもできなかった」と感謝の意を表明していました。

杉原千畝の勇敢な決断こそが、彼らの人生を変え、彼ら自身や家族、子孫の命を救ったのだとサバイバーの方々の話から強く感じます。6000人を救ったと言われる杉原千畝だが、子孫の数を考えると膨大な命を助けたことになります。

メトロポリスとカウナス駅に設置されたプレートには杉原千畝が「命のビザを発給し続けた」という文言が刻まれています。この物語は、今回のような節目の年はもちろんのこと、人間の命が軽んじられている状況が続く限り、語り継ぎ、共有していかなければならないものです。私たちもその一翼となり、多くの方に伝えていく活動を継続していきたいです。

 

千畝ブリッジングプロジェクト所属早稲田大学2年男性

私は、本やテレビドラマで見た、杉原千畝が最後の最後までビザを書き続けるシーンに心を打たれ、感動の涙を流したことがあります。あの感動的な場面から75周年を記念する節目に、まさにこのカウナス駅で千畝の功績を追想出来る機会に立ち会えたことを誇りに思いました。

式典では「命のビザ」で助かった2人の方の話を聞きました。「もしもあの時、ミスタースギハラがビザを出していなかったら、私はこの場に居ませんし、私の孫たちも存在しなかったでしょう」オーストラリアから来られた男性がスピーチの最後で語ったこの言葉には、千畝の功績の偉大さが凝縮されています。式典の最後にお二方と交わした手の温もりを私は忘れることはないでしょう。

今回の式典に参加して75年という時間の長さを感じました。過去の過ちの風化を懸念する声があるのも確かです。ただ千畝のビザで救われた人々やその子孫が生き続ける限り、この式典で設置されたプレートを見て、当時の状況に想いを馳せる人がいる限り、千畝の人道精神は生き続けることでしょう。

 

千畝ブリッジングプロジェクト所属早稲田大学2年男性

今回、重枝豊英・駐リトアニア特命全権大使など多くの方々が参加されていた式典に参加しました。幸運にも杉原千畝のビザで助かった方の話を聞くことができました。2人の話は、ユーモアが交わった貴重で興味深い話で、心動かされました。

今回の式典への参加は、今後の千畝ブリッジングプロジェクトの活動への大きなモチベーションにもつながりました。杉原千畝の功績と彼の精神がより多くの人に知られていってほしいと思っています。

 

千畝ブリッジングプロジェクト所属早稲田大学2年男性

杉原千畝に関するイベントに参加して、日本で見える杉原千畝への想いとリトアニアで見えるそれとでは大きな開きがあり、リトアニアの人々の方が杉原千畝に対して多くのことを学び、考えていると感じました。日本人である私たちの方が杉原千畝、または日本という国と真摯に向き合うことができていないのではないかと反省させられました。

イベントではサバイバーの方の生の声を聞くことができ、リトアニアまで行った意味を見出しました。命のビザ発給75周年という節目において、日本人であり、早稲田大学の後輩である私たちには杉原千畝の信念を継承していく義務があると信じます。これからの活動につなげます。

 

千畝ブリッジングプロジェクト所属早稲田大学1年男性

杉原千畝のビザで助かった人と会って話を聞いたことで、彼のしたことの意義を再認識しました。書籍や映像、研究者の話よりも、今回の経験が最も私の想像力を働かせ、彼の置かれた状況、彼の行動や思いをより生々しく捉え得た。また、彼の決断がきっかけに子々孫々と命が繋がっていくのかと思うと、感慨深いです。

「ひと一人の命を救うことは地球全体を救うこと」私が今回の式典で胸に刻んだ大切な言葉です。この言葉をあの難局において体現した杉原千畝は世界史に誇るべき人物であると確信した一日でした

 

千畝ブリッジングプロジェクト所属早稲田大学1年男性

命のビザで助かった彼等の言葉は、本で学ぶよりも多くのことを物語っていました。式典後に写真を撮った時、彼等が見せた笑顔が、私の心に残ります。

私は命の危機にある人に対して、何もしなかったことがあります。幸いその人の命は助かったが、自分より適した他の人が助けるだろう、と理由を付けて行動しませんでした。一人の命に対してすら勇気を持って行動するのは難しい。一方、杉原千畝は6000人の命に対して勇気を持って決断しました。その決断に至る心の葛藤はどれほどのものだったでしょうか。

彼らの笑顔は、命を救うことと、その命の尊さを感じる貴重な経験でした。これからもプロジェクトの一員として、この経験を活かし、杉原千畝の人道の精神を語り継いで行きたいです。

 

千畝ブリッジングプロジェクト所属早稲田大学1年男性

サバイバーの方のお話は、当時の切迫した状況や戦争の恐怖を感じさせてました。千畝は、そのような状況下で千畝が日本政府の指示ではなく自分の意思に従い、ユダヤ人の命を救いました。日本人として誇りに思います。今回、彼のビザで助かった方、彼がビザを書いた場所に出会ったことにより、、千畝の置かれた状況により思いを馳せられ、感動しました。

千畝の行為から75年経った今でも、世界には戦争や紛争、人種差別や迫害が多々あります。今こそ若者が千畝の博愛精神を学び、後世に伝える必要があると強く思いました。

Author: Yasufumi Nakashima

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