リトアニアと日本の関係

リトアニアと日本の出会い

遠くから見れば相違点の多いリトアニアと日本は、何によって結び付けられているのでしょうか。両国の価値観を比較すると、かなりの類似点が見つかります。例えば、人間と自然の関係、国の歴史を敬うこと、文化と美術を大切にすることなどが、両国に共通して強く感じられます。

19世紀中頃まで、両国の間に目立った交流はなかったと言われています。歴史をひも解くと、ユーザパス・ゴジュケヴィチェスというリトアニア人が最 初に日本を訪問しましています。1852年にロシアの外交使節の一員として日本を訪問し、後に日本で最初のロシア領事になりました。日本人が初めてリトア ニアを訪れたのはいつでしょうか。日本古文書保管所の資料によると、それは1862年、日本軍政使節が欧州を訪問した時となっています。

政治関係

両国の正式な外交関係は80年前に開設されました。1922年12月20日にリトアニア国家を承認し、両国は協定を結びました。1929年の査証免 除協定締結に続き、1930年商業航海条約に調印しました。ソ連占領前の1937年、リトアニアは東京で最初の駐日名誉領事を任命し、日本は1939年 11月にカウナス市に領事館を開設しました。同領事館に勤務していた杉原千畝副領事は「日本のシンドラー」とも言われ、彼の人道的行為は戦前の両国国関を 代表していると言われています。

約50年継続したソ連占領の後、1991年10月10日に両国の外交関係が回復しました。当初はモスクワの日本大使館がリトアニアを管理していましたが、すぐに西欧の管理に移されました。1997年、リトアニアの首都ヴィリニュスに日本国大使館が開設されました。

1999年に駐日リトアニア共和国大使館が東京に開設され、更に2004年、札幌市にリトアニア名誉領事が任命されました。1997年にはリトアニ ア共和国大統領が日本を実務訪問しました。更に、2000年4月、両国は90日間短期滞在に係る査証免除協定を締結しました。リトアニアからは、主立った すべての高官の日本公式訪問が実施されています。2001年にはV.アダムクス大統領が日本を公式実務訪問し、2004年にはA.パウラウスカス議会議 長、2005年にA.ブラザウスカス首相、2006年にG.キルキラス首相が実務訪問した

日本より2006年に麻生外務大臣、2007年に天皇皇后両陛下にリトアニアの公式訪問が実施されました。

Japanese Emperor in Lithuania ©-V.Ščiavinskas

 

BA-Japanese Emperor in Lithuania2

 

BA-Japanese

杉原千畝とリトアニア

2000年には杉原千畝の誕生100周年記念行事が行われました。カウナス市の領事館に1年しか勤務していなかったこの卓越した外交官の行為は、今 でも忘れることができません。第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの追害によりポーランドからリトアニアに逃れてきたユダヤ人に対して、杉原は自らの判断で 日本通過査証を発給し、何千もの人たちの命を救いました。その人道的行為に対し、1985年に杉原千畝は「世界中の正義の人」という称号を授与されまし た。この称号は世界中で他9人の外交官にしか与えられていません。リトアニアでは現在も杉原千畝のことが称えられています。リトアニア政府はヴィリニュス の通りの一つを、杉原の功積を称えて「スギハラ通り」と命名し、記念碑も建てました。リトアニアとベルギーの専門家や実業家により、1999年、カウナス 市に公的組織である「杉原“命の外交官“ 財団」が設立されました。旧日本領事館にあるこの財団は、杉原氏に関する記憶を不朽のものにするように努めています。

BA-Sugihara-family
Sugihara stamp

「杉原の家」は、この著名な外交官に対するリトアニア人の尊敬を象徴していると言われています。この家には、杉原記念室やヴィタウタス・マグナス大 学付属のホロコースト犠牲者救済研究センターと日本学センターが設立されています。更に2004年、杉原氏の業績を記念して、リトアニア郵便局により特別 記念切手が発行されました。

Old Sugihara house
Sugihara house

文化交流

バルト三国の「人間の鎖」や1991年1月13日の血の日曜日事件のリトアニアからルポルタージュは、日本でもかなり有名です。しかし、最初に日本 社会とリトアニアが直接に出会ったのは、1992年、リトアニアの画家であり作曲家であるチュルリョーニスの展示会が東京で開催された時でした。天皇陛下 もこの展示会を訪れました。その後、両国の文化関係は発展しました。リトアニアの文化施設の為の日本政府からの文化無償協力は大変役立っています。博物 館、大学、リトアニア国立図書館、国立オペラ・バレエ劇場など、今までに数多くの文化施設が支援を受けました。

1993年度より、日本政府は毎年研究助成金を供与し、1996年度からは日本語や文化を勉強する学生への奨学金を設立しました。1999年度より、リトアニア政府も日本人の学生や学者をリトアニアに招待しています。

クライぺダ市と久慈市は、1989年、両国の公式外交関係回復より前に、姉妹都市関係を結びました。久慈市は日本全国で誰一の琥珀の産地であり、その理由で二つの町は姉妹都市となりました。

日本語の研究は両国の高等教育機関を結び付けています。リトアニアの大都市には、日本学センターやアジア研究センターが設置されています。ヴィリ ニュス大学は早稲田大学と協定を締結し、カウナス市ヴィタウタス・マグナス大学は関西外国語大学、国際基督教大学や早稲田大学と提携しています。

 

Sakurs in Vilnius

 

追加情報

オリジナル記事

写真

 

Share This Post On