日本を襲ったマグニチュード9の地震から5年が経ちました。この地震による日本人の死者や行方不明者は18,000人を超えました。地震と津波は東北地方を襲っただけではなく、福島第一原子力発電所事故が起こった原因になりました。この事故は1986年に起こったチェルノブイル原子力発電所事故に次いで未曾有の災害とされています。
「被災地の復興を一所懸命頑張っていきます」と重枝在リトアニア日本国大使は言います。「政府と国民の協力のおかげで地方の大部分が復興するという成果を挙げました。もちろん、未だ改善の余地がありますが、飛躍的に進歩したと思います。災害で最も被害を受けた地域は復興にさらなる時間が必要ですが、日本はきっと復興して、より良い国になるでしょう。」
日本では、(国の)指導者をはじめ、親族や友人を亡くした国民に至るすべての人々が東日本大震災5周年を追悼しました。現地の14時46分に1分間の黙とうを捧げました。5年前のちょうどこの時間に地震の揺れが観測されました。統計の示すところによれば、現在約180,000人が避難所生活をしています。災害直後には、同様の避難者は470,000人に上りました。
日本政府によると、約1年後には被災地にある自宅に帰ることができるとされています。そのときまでにインフラ等の整備が完了すると予想されています。
「インフラについて、震災で被害を受けた8割の建物が再建しました。
被災者に快適な暮らしを提供することが優先事項となっています。」
重枝大使によると、被災者には財政的な援助だけではなく、精神的な支援も必要とされています。日本政府は精神的な支援を行ってくれた国際社会に対し感謝の気持ちを表現しています。
過去5年間において日本を支援し続けているリトアニア人を招待して公邸にて東日本大震災復興支援行事が行われました。
ドゥムチュスさん:「クライペダは岩手県の久慈市の姉妹都市ですから、(震災の)ニュースを聞いて、クライペダ市の全部の学校で折り鶴のワークショップを行いました。学校、専門学校、幼稚園などの生徒はみんなで折り鶴等を作ったり、ダネ川の岸に生えている桜の木に飾りつけをしたりしました。それ以外にも、子供たちが寄付を集めました。折り紙のワークショップや桜を飾る場面を写した写真を財政援助とともに久慈市の政府に送りました。」
Lina Virsiliene (カウナスのJurgis Dobkeviciusの学長):「私たちは、学校の生徒に何をやってもらえるのか長い間考えました。東日本を襲った悲劇のせいで学校に通えなくなった子供たちもいるでしょう。アレクソタスというカウナス市の近所にある学校の子供に送りやすい小さなプレゼントを作ってもらおうと提案しました。小さなプレゼントというのは、リトアニアの支援を示すミサンガ、折り紙、葉書とかですね。」
大使:「福島で起きた悲劇の後、リトアニアの人々が行った少なくとも9つの支援イベントを知っています。慈善活動、写真展など、多様なイベントが行われてきました。学生、大学生、社会人の激励が日本人の心を慰めてくれました。このようなイベントはもう数年間も続いています。日本を支援してくれたリトアニア人に感謝申し上げたいと思います。」
日本人の気持ちは絶望していない、それどころか、もっと強くなった、と津波に襲われた地方を訪問したビータウタス・ドゥムチュスさんは言います。それが日本人の考え方からはっきりわかる、と。
日本語訳: Nina Ždanovič