ルポ:リトアニアで「名前」を語る

かつてゲットーと外界を隔てていた道

かつてゲットーと外界を隔てていた道。右側がゲットー図書館。

 

「命のビザ」の背景にある、リトアニア・ホロコースト

日本が9月下旬の大型連休で盛り上がる中、「リトアニアには祝日はないのか」とカレンダーを見た。9月23日のマスにリトアニアの国旗が書かれている。大学の授業は休みではないようだ。気になって調べてみると、リトアニア・ホロコースト記憶の日であった。

 

第二次世界大戦前、リトアニアには22万人以上のユダヤ人が住んでいた。数世紀に渡ってリトアニア全土で、ユダヤ人と非ユダヤ人が平和裏に暮らしていた。ナチスの占領を通して、リトアニアにはゲットーが作られ、虐殺も行われた。ナチスとリトアニアの協力者の手によって殺害されたユダヤ人は、90%以上にのぼる。

リトアニアの首都ヴィリニュスは、かつて「北のイェルサレム」と呼ばれた都市だ。100を越えるシナゴーグが存在し、ユダヤ文化が育まれていた。第二次世界大戦前夜にヴィリニュスに住んでいたユダヤ人は、10万人。なんと人口の45%を占めた。独ソ戦開始後、リトアニアは、ナチスの支配下に入る。ヴィリニュス近郊でもユダヤ人の虐殺が行われ、生き残った者はゲットー暮らしを強いられた。そのヴィリニュス・ゲットーの浄化が行われたのが、1943年の9月23日であった。

 

「リトアニア・ユダヤ人」と聞くと、「命のビザ」で知られる杉原千畝を想起する人が多いかもしれない。彼は、2000を越えるビザで6000人もの命を救った。この救われた命の背景には、より多くの救われなかった尊い命がある。

「諸国民の中の正義の人賞」は、自らの生命の危険をおかしてユダヤ人を助けた非ユダヤ人に送られる賞だ。日本人としては杉原千畝に、800人のリトアニア人にもこの賞が送られている。一方で、ナチス占領下にて、ナチスに協力をした多くのリトアニア人が存在するという歴史もある。

現在リトアニアに住んでいるユダヤ人は、3000人ほどである。

 

「名前」でつなぐ、記憶の継承

ホロコースト記憶の日の前日、9月22日。リトアニア全土で、ホロコーストの犠牲者の「名前(リトアニア語でVARDAI)」を読み上げる行事が行われた。首都のヴィリニュスだけではなく、小さな町々でも行われている。かつてリトアニアを故郷と呼んだ、リトアニアのユダヤ人。彼らの名前と職業を読み上げることが、彼らが「いたこと」「(今は)いないこと」を記憶するのに繋がるという趣旨で開かれている。

会場は、かつてゲットーがあった場所に残る、ヴィリニュス・ゲットー図書館の中庭。人通りが少なく、どこか寂れた場所にあった。建物の周りには、老若男女のユダヤ人の白黒写真が貼られていた。かつてあったヴィリニュス・ゲットーの地図も掲示されている。今では面影はあまり見られないが、来る途中の道の真横に広がるゲットーがあったことに気付かされる。

 

ヴィリニュスゲットー図書館への入口。人々の写真が飾られている。

「名前」を読む声が中から聞こえる。建物周囲には、ヴィリニュスを生きたユダヤ人の写真が。

 

扉をくぐると、中庭に人が集まっているのが見えた。厳かな雰囲気だ。「ホームページを見た日本の学生で、興味があるので見学させてほしい」との旨をリトアニア語で伝え、中に入れさせてもらった。訪れた際には、人形を持った小さな子供からお年寄りまで15人ほどがいた。

皆の視線を集める形で、1人が中庭の真ん中に立っている。彼女は、本を持ちながら、人々の名前と職業を読み上げていく。本には、ヴィリニュス・ゲットーに収容されていた人々の名前が記されているようだ。周囲の人は、名前を読み上げている人を黙って見ている。交代の合図は特にない。誰からともなく前に出てきた人が、読み手を変わる。

名前が読み上げられている最中、外を走る車の音や歩行者の声が中まで聞こえてくる。外にはいつもと変わらない日常を過ごす人々がいる。中には記憶のために集まった人々。記憶の継承は、時に孤独だが力強いものだと感じた。

同じ名字の人が6人続く。家族6人が自由を奪われていたということだ。先生、芸術家、電気技師…。リトアニア語で聞き取ることのできる職業は限られているが、様々な職業の人がいたのがわかる。

 

その場に立って見ているだけで、じわりとした緊張を感じていた。なかなか前に出る一歩が出ない。ついに「生徒」という単語を聞いていたたまれなくなり、歩み出た。名前を読み上げている男性の隣に立つ。「ここだよ」と、どこまで読んだか教えてくれながら、本を受け取った。本は、3センチメートルほどの厚さで、思ったよりも軽い。ページも落丁しかけている、年季の入ったものだ。

ページを開くと、100人ほどの名前と職業と住所が書かれている。統計のようだ。だが、名前の中に1人1人の人生が詰め込まれている。そう思うと、緊張も相まって1人目を呼ぶことがなかなかできなかった。口を開くと、様々な名前に出会った。リトアニア系の名字もあれば、ポーランド系の名字もある。「イスラエル」という名前にも4度出会った。同じ名字も度々読み続けた。見開きの100人弱の名前を発したところで、読み手を変わる番が来た。何分かかったのだろうか、短くも長くも感じた。

Author reading the book. Photo Credit: Richard Schofield

本を読む筆者. Photo Credit: Richard Schofield

この行事の開催時間は、15時から21時までの予定だった。19時頃に訪れ、私が読み終えたのは20時頃。まだかなりのページが残っていた。いつになったら終わりになるのかもわからない。重さ以上に中身の詰まっている本が、リトアニア・ホロコーストの犠牲者の多さを表している。

しばらく時間を過ごしてから、中庭を後にした。通りに出て、建物を振り返った。立ち止まって、ゲットーを生きた少年の写真・女性たちの写真を見つめる。建物の中からは、名前を読み続ける女性の声が聞こえている。来た時よりも大分暗くなった道に、声が響いている。

 

杉原千畝のビザによって救われた方と会って初めて、彼の偉大さがスッと腑に落ちてきた。今回「名前」を読む場に立ち会えたことは、リトアニアで起きたホロコーストの歴史とその継承、両方を考えるのにつながった。そして何よりも、日本人の私という部外者を受け入れてくれたユダヤの方々に感謝したい。

私たちは、人種や民族、国籍など、何かをひとまとめにして考えてしまいがちだ。今ヨーロッパに目を向ければ、第二次世界大戦以後最大の難民危機が起きている。「難民」と一口に言っても、1人1人に個々の生活がある。考えるべきことは、同じなのかもしれない。

Author: Yasufumi Nakashima

2012年に早稲田大学に入学後、杉原千畝の功績を伝えるのを目的に活動する"千畝ブリッジングプロジェクト"に所属。活動を通して、杉原千畝やホロコーストについての勉強、関連施設の訪問、杉原記念館でのインターンシップを経験。2012年から数えて、4度リトアニアを訪れた。2015年9月からはヴィリニュス大学コミュニケーション学部で勉強する。リトアニアの雰囲気に惹かれている。

Share This Post On